『岡山の旅』(令和5年7月18日)
先月、37回目の結婚記念日に妻と岡山に行ってきました。
岡山と福岡には奇縁があります。
関ヶ原の役の後、新しい領主となった黒田長政が城を新築した時に、父祖の地、現在の岡山県である備前国の福岡から名前をとって福岡城と名付け、一帯の地名を福岡と呼ぶようになったらしいのです。
そんな由来への関心もあって、前々から岡山に一度行ってみたいと思っていたので、今回の旅は好機でした。
新幹線で岡山駅に行き、在来線で倉敷に移動。『倉敷アイビースクエア』などの倉敷美観地区の観光スポットを周って、名物のきびそばを食べました。それから岡山にとんぼ返りして岡山駅直結の『ホテルグランヴィア岡山』に泊まりました。夜はホテルのレストランでジャズの演奏会等も催され特別感のある良い記念日になりました。
まだ人通りの少ない翌日の早朝、JR岡山駅の地下街の駅前ピアノで、旅の思い出にと妻が数曲弾いたのでそれを聴いてから、タクシーで岡山後楽園に向かいました。岡山後楽園は江戸時代に藩主の安らぎの場として作られた大名庭園ですが、築庭者である2代藩主池田剛政の教養とセンスの高さが伝わってくるような庭園で、外国人の観光客の方々とすれ違った際には、思わず日本人として誇らしい気分を抱きました。
そのあとJR岡山駅前にある岡山ラーメン(豚骨醤油)の老舗『中華そば冨士屋』で遅めの昼食をとってから、新幹線で帰福しました。
夕刻、JR博多駅前から乗ったタクシーの運転手さんが岡山のことに詳しくて、家に着くまでの間、話が盛り上がり、最後まで楽しい旅でした。
『昨日の事』(令和5年6月12日)
昨日の日曜日は、妻と二人で朝のNKKテレビの『天皇皇后両陛下ご成婚30周年の歩みを振り返る』を観ました。
番組が終わった後、「支え合って困難を乗り越えて来られた。雅子さまも頑張られた。天皇さまは本当に誠実な方だ。お二人とも幸せそうだ。」などと妻が嬉しそうに話しかけてくるので、私は目で共感の相槌を打ってから、コーヒーとカステラで朝食を済ませて、車で出勤しました。
昼過ぎに、N様ご夫妻が来社されました。
保有されているマンションの運用方法についてのご相談でしたが、当面は賃貸で運用して、今後の不動産市場の動向を踏まえて、将来的には売却も検討するという結論になりました。
そのあと、いつもよりも早めに帰宅してテレビで『ソフトバンク対巨人戦』を観戦し、夕食後は栗山英樹氏の『栗山ノート』(光文社)を読みました。
栗山氏の経歴をみると、野球人としては異色の人材です。
創価高⇒東京学芸大⇒(テスト生から)ヤクルトスワローズ⇒スポーツジャーナリスト、白鳳大教授⇒日本ハムファイターズ監督⇒WBC日本代表監督
『栗山ノート』には論語等の古典や経営者の著書から、栗山氏が感銘を受けた言葉が多数引用されており、野球にはあまり興味がない人が読んでも面白いので、人生の指南書、教養書としても良い本だと思いました。
1泊2日の旅(令和5年5月6日)
ゴールデンウイークの5月3日(水)、家族で大分県の宇佐神宮に参拝しました。
以前に、厄除けの願をかけていたので、そのお礼参りでした。
当日は、『中津こがね山荘金色温泉』に1泊。
翌5月4日(木)は昭和30年代の街並みがテーマの『豊後高田昭和の町』で食事と散策を楽しみました。
バラエティ番組の『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』でも取り上げられた人気店『大衆食堂大寅屋』で昼食をとった後、近くの雑貨屋さんに立ち寄って昔懐かしきスマートボールに興じ、しばしの間、昭和時代へのタイムスリップを体験しました。
その後、高速道を使って夕刻に帰福。
1泊2日の,束の間の旅でした。
『序の舞』(令和5年3月15日)
先日、『上村松園画集』を買いました。絵画教室に通っている7歳の孫娘の教材にと思って買ったのですが、自分で観賞しています。
上村松園は明治八年(1875年)京都で生まれ、幼少のころから画才に秀で、美人画で名を成して、戦後、女性初の文化勲章を受章しています。
画集を通覧すると、一貫して美人画を描き続けています。「初々しい花嫁」「内気でしとやかな娘」「子を抱く慈愛に満ちた母親」等々と主題は様々ですが、どの女性も優美で品性があり、女性美に対する松園の強いこだわりが窺えます。
なかでも『序の舞』は、松園が晩年(61歳)に発表した作品ですが、会心の出来だったのでしょう、「私の理想の女性の最高のもの」「優美のうちにも毅然として犯しがたい女性の気品を描いた」と自画自賛しています。
『序の舞』が発表される2年前、葉茶屋を営みながら生涯彼女を支え続けた、唯一無二の理解者、彼女にとっては菩薩様のような母親仲子が亡くなりますが、『序の舞』は、その深い悲しみを乗り越えようとする強い意志の中から生まれた作品だと思います。
「本当に大事なもの」(令和5年1月26日)
今年は年明けから喫緊の案件に追われています。仕事だけでなく個人的な問題もあって、人間性や決断力を試される日々が続いています。
何時書いたのか、何かで見たのを写したのか、自分の作文なのかも記憶がないのですが、雑記帳に走り書きのメモありました。
美しい花が咲きました。
見えない根っ子があったから!
本当に大事なものは目には見えないのですね!
「うわさ話と妄想」(令和4年11月1日)
昨日、趣味で蒐集している新聞の切り抜きの一部を整理して読み返したのですが、精神科医の大野 裕氏のコラム『こころの健康学』の記事がとても印象に残りました。
大野氏によれば、精神疾患のない普通の人達が、事実を確認もしないで、うわさ話に熱中している精神状況と、精神疾患のある患者さん、例えば統合失調症の患者さんが妄想にとらわれて、現実には起きていないことを起きているかのように思い込む精神症状とは、共通性が見られ、基本的に同じで、妄想による「誤った思い込み」は精神疾患の患者さんに特有なものではなく、健常人にも、うわさ話に熱中している時などに、日常生活で普通にみられる「症状」だそうです。
大野氏のコラムを読みながら、作家の曽野綾子さんもうわさ話のことを取り上げておられたことを思い出して、その本(『人間関係』)を引っ張り出して再読しました。以下にその一部を転記します。
「人間関係の上で、極端に迷惑な第一のものが噂である。しかし、人間は、ことに女性は心底噂が好きだ。噂は八、九十パーセントが間違いだ。間違ったことを元に、人は何かを喋っている」「しかし、たいていの噂話は、その根底に相手の不幸を望む要素が含まれている。要素はさまざまあるが、噂は相手を陥れたい気分の変形であることが多い」。
「もし世間が、ことに女性たちが、噂話というものをやめれば、日常生活の不和はほとんどなくなるだろう」。
大野氏は精神科医の立場から、また曽野さんは作家の視点で、うわさ話の問題を取り上げられたのは、お二人が、うわさ話では真実でないものを真実のように語られることが多いので、特にリアルと虚構の境界があいまいな現代社会においては弊害が大きいと考えられたからでしょう。
世間で語られたり流布されている事柄を、鵜呑みにせず、「本当だろうか?」と自分で考えて、意識的に真実と向きうことによって初めて、私たちは妄想から解放されて健康な心と健全な人間関係を維持することができるのではないかと思いました。