『聖書と歎異抄』(令和3年4月30日)
繁忙期の業務に忙殺され、久々のブログです。
先日、孫に絵本でもと思い立って「ゆめタウン博多」の紀伊国屋書店に立ち寄りました。結局、絵本は買わないで偶々目についた『聖書と歎異抄』(写真)を買って帰りました。
聖書も歎異抄もいつか読みたいと以前から思っていた本ですが、まだ読めずにいます。
歎異抄は浄土真宗の開祖親鸞の言葉を弟子が書き残したものですが、悪人こそ救われるという悪人正機説でも知られています。
聖書については、ほとんど無知で、日頃愛読しているカトリック教徒でもある作家の曽野綾子さんの著作を通して多少知っている程度でが、曽野さんが語られる聖書的な考え方と歎異抄の思想とは近いのではないか、通底するのではないかと前々から感じていました。
「通底するもの」とは、おそらく世間(人間)の視点によっては理解されなかった、報われなかった人々に対して、神様や阿弥陀如来の視座によって弁護し、救済しようという強烈な思い(願い)でしょう。
ちなみに、五木寛之さんの本を初めて読みましたが、魅力的な作家だと思いました。機会があれば別の著作も是非読んでみたいと思います。