Sさんのこと(令和4年4月1日)
「さまざまなこと思い出すさくらかな 芭蕉」
花散らしの雨が降る前にと思い立って、今週の水曜日の夕方、家族で舞鶴公園の桜を観てきました。桜は満開でしたが、例年参加している妻は参加せず、少しさみしい花見になってしまいました。実は今年の2月、妻の無二の友人であったSさんが交通事故の被害に遭って亡くなったのですが、妻は「桜を観るとSさんとの事をあれこれ思い出してしまうから」と言って花見を断ったのです。
Sさんと妻との付き合いは、平成6年の春、Sさんのご主人の転勤で,ご家族で札幌に異動になり、同じ時期に私も家族とともに札幌に赴任したときから始まります。住まいが近く、家族構成も似ていたこともあって、妻は、札幌での4年間、お互いの子供たちも挟んで、まるで家族同士のように打ち解けて、Sさんとの親交を育んだのです。
二人の友情は、それぞれの家族が札幌から福岡と千葉へと離れた後も変わらず、Sさんが亡くなるまでの28年間、間断なく続きました。
作家の伊集院 静さんの最新作「もう一度、歩きだすために」の新聞の広告文の一部です。「近しい友の死は、あとになって切ないほど自分の身に迫ってくるものだ。それでもともかく、人は歩きだすしかないのである」
さまざまな思い出が、走馬灯のように脳裏に浮かんでくるのでしょう。Sさんがなくなって以来、妻は毎日子供のように泣きじゃくっています。
しかし先日突然、「ピアノを習って5年で1曲弾けるようになって『街角ピアノ』をやるんだ。」と言い出して、どこかで中古の電子ピアノを買ってきました。泣いてばかりいても仕方がない、ともかく、歩きだそうと決断したのでしょう。
このブログを書いているとき、空耳でしょうか、天国のSさんの声が聞こえたような気がしました。もしかして同じ声が妻にも聞こえたかもしれないと思いました。「『街角ピアノ』のこと、グッドアイデアだと思うよ。佐伯さんならきっとできるよ。演奏を傍で聴けないのは残念だけど、28年間、楽しかったよ。ありがとう。」
Sさんとご家族の長年の御厚誼に感謝しますとともに、Sさんのご冥福を心よりお祈りいたします。